松江城の歴史

歴代藩主家系

堀尾氏(慶長5年~寛永10年)
堀尾義晴の肖像
堀尾義晴
慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦の後、出雲・隠岐両国を拝領した子の忠氏と共に、遠江国浜松(静岡県)から月山富田城(広瀬)に入ったが、松江の将来性に着目して城地を移した。豊臣秀吉、徳川家康と二人の天下人に仕え、豊臣政権下では三中老の一人として功績を残している。城普請の名人であり、孫の忠晴を助け松江城と城下町を建設し、現在の松江市の礎を築いた。
京極氏(寛永11年~寛永14年)
京極忠高の肖像
京極忠高
堀尾家の跡を継ぎ、若狭国小浜(福井県)から出雲に入国した。3年余りの短い統治期間であったが、当時、度重なる洪水で氾濫を起こしていた斐伊川を大土手により改修をした。現在でも京極若狭守忠高にちなんだ「若狭土手」という名を残している。また、幕府直轄領であった石見銀山(世界文化遺産)の監督権を与えられるなど、歴代松江藩主のなかで最大の領地を治めた。徳川二代将軍・秀忠と正妻・江夫妻の四女が忠高の正妻・初である。
松平氏(寛永15年~明治4年)
松平直政の肖像
松平直政
京極家の跡を継ぎ、信濃国松本(長野県)から出雲に入国した。慶長19年(1614年)、14歳で大阪冬の陣に参戦し、初陣ながらも力戦奮闘した。敵将真田幸村は、その武勇を讃えて自らの軍扇を投げ与えたという。徳川初代将軍・家康の第二子・結城秀康の第三子である。
城主 [初代 直政(なおまさ)]---[綱隆(つなたか)]---[綱近(つなちか)]---[吉透(よしとお)]---[宣維(のぶずみ)]---[宗衍(むねのぶ)]---[治郷(はるさと)(不昧(ふまい))]---[斉恒(なりつね)]---[斉貴(なりたけ)]---[定安(さだやす)]

廃城令。地元の有志により買い戻す

明治8年広島鎮台は、松江城諸建造物と三の丸御殿を民間に払い下げることとし、ことごとく取り壊された。
天守閣は180円で落札されたが、出東村の勝部本右衛門、高城権八らにより資金を調達、買い戻され取り壊しは中止、保存されることとなった。
※当時米一俵が3円弱といわれた。

松江城国宝・重要文化財

1935年(昭和10年)「国宝保存法」により国宝に指定。
1950年(昭和25年)5月文化財保護法制定により、「重要文化財」と呼称。
2015年(平成27年)5月15日 国の文化審議会において、国宝に指定するよう文部科学大臣に答申がなされる。
2015年(平成27年)7月8日 正式に国宝に指定。

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